2008年09月06日

「祭りの後」

 木槿の花弁が、朝の到来を告げていた。
 一日草。
 そう、花弁を閉じてから、一日が経っていた。

 俺は、ベッドに倒れこんだ。
 いや、性格に描写するならば、玄関から2階の寝室まで、這うようにしてベッドにたどり着いた。

 身体を動かすことなく、窓辺への視線から天井へと移し、木目を数えながら、思った。
 「ヒエロニムス・ボッシュも、腰を痛めることがあるのだろうか」と。
 クールでタフなハードボイルドのボッシュと、ブルージーでダルな俺との連鎖は、ついぞ繋がることのないことを理解した。
  
 俺の記憶が定かならば、奴こと、ミスター・クラウンは「公演も終わったことですし、次に向けて話し合いを。その席にイドウさんも臨んでもらえたら」と言い放ったはずだ。
 俺も二つ返事で、「ああ、いいよ。久方ぶりに芝居談義に花を咲かすのも、一興だ」と、土曜の仕事もそこそこに、愛車パパオでルート7を南下した。
 「スタ・シスに、リー・ストラスバーグか? シュガー・コートを交えて別役氏のドラマツルギー論も面白いな」と独り合点しながら、テゼのメロディーを車窓に送りながら。

 だが、そう、だが、だ。
 俺を待っていたのは、なぜか花火の束を持って、玄関先でヘラヘラと笑っているミスター・クラウンに、奥部屋から聞こえてくる、酔っ払いどもの下卑た笑い声だった。

 「ん?」俺の頭の中に、疑問符がいくつも浮かび、同時に、悟った。
 そして、後悔した。
 宙を見上げ、曇天とした夜空に深いため息をつきながら、「仕上げなければならない原稿をほっといて来てみれば……人生ってやつは、“ゴドー待ち”さながらの不条理にして、不可知なものだ」と深遠な哲学的命題を解くような思案顔で、声を殺した。

 その傍らで、ミスター・クラウンは「花火がやりたいかな、なんて思って、こんなに買っちゃいました」とヘラヘラ顔を満面に。
 「お前なぁ――」と言いかけたところに、奥部屋から、酔っ払いの連中が這い出してきて、「花火だ、花火だ」とうれしそうに、花火の品定めを。
 「この劇団、大丈夫かしら」と一抹の不安を覚えながらも、そこは、偽善者の俺。
 「花火か。いいね、祭りの後の花火だなんて、一種、文学的でいいじゃないか」と訳のわからんことを言い出す始末。
 俺も、堕ちたもんだ。

 ところで、奴は、資産家のボンボン。
 ま、金がなきゃ、芝居なんぞ、やらんだろうが。
 奴の家は、高級住宅地のただ中。当然、奴の家も。
 庭には、何千万ともする鯉が泳ぎ、犬も、うん百万もするという外国産だそうだ。
 その庭先で、“花火大会”がはじまった。
 「自然的ななりゆきで」と強調する奴だが、どうも、単に花火がしたかったんじゃないかと思わざるを得ないのだが。
 それに、酔っていると人間というものは、火の傍に近寄りたくなるのだろうか。花火をわしづかみに、火をつけ、「キャッキャッ」と騒ぐ若い衆ら。
 再々、疑念を募らせる俺。
   
 「ま、どうでもいいや」と、7つの星に火を点し、シニックに構えながら、俺は、遠く近くの祭囃子に耳を寄せる。
 花火のもうもうたる煙の中で。
 煙が目にしみるぜ。

 そして、事件が。いや、事故か。

 相変わらず、ヘラヘラしながら、花火に興じるミスター・クラウンは、水がめに、”ねずみ花火”をまとめて放り込み、どこからか持ち出してきたガスバーナーで火をつけた。
 一気に、火花を散らすねずみ花火。
 そして、最後、大音響を残して。
 
 落ちていく夜に身を預けていた俺は、“散り際の美学”なぞと気取る以前に、その大音響に驚き、宙に身を踊らした。
 そして……やっちまった。
 地べたに倒れこんだ俺は、立ち上がろうとすると、腰に激痛が。

 遠い昔。いや、時の数え方によっては、そう遠くでもないのかもしれないが、いずれにしろ、学生時代だ。
 港の荷役人のバイトをしていたことがあった俺は、5階層でなる貨物船の最下層で、マグロの荷揚げをしていた。
 頭上高くからこぼれる一条の太陽光に、氷の結晶が舞う。幻想的な世界の中で、重さ3kgの凍りついたマグロを荷台にのせる作業。
 シュールレアリスムだ。

 その過程で……やっちまった。 
 凍りついたマグロを持ったまま、俺も凍りついた。
 
 その後、1ヶ月、腰痛で寝込み、以来、腰痛とは“人生の友”とも呼べるほどの長い付き合いとなった。
 季節の移り変わりと雨続きいは決まって。
 さらには、仕事柄、関東近県をネタ探しで車で経巡る俺にとって、腰の痛みは、もはや、痛みの無いほうが、異常のサインとなっている。
 しかし、今回のは、異常の“二乗”でもある。

 帰るにも難儀する俺は、奴の部屋で身をおとなしくしていた。
 というよりも、おとなしくせざるを得なかった。

 が、鬼畜の人、ミスター・クラウン氏は、麻雀パイを持ち出し、「やりましょう。座椅子もあるし」といたわるような声で。
 俺は、こいつの人間性を疑いたくなった。

 けれども、常軌の世界のヘリで生きるイアーゴこと、イドウな俺は、リチャード3世にも劣らずの人。
 打ったよ。打ちましたよ。打ちゃいいんでしょう!
 と、まわすこと半チャン15回、朝の8時まで。
 (後日、クライエントで、この話をしたら、あきれられたが。ま、それは、未来形の話)。

 愛車パパオとともに、ナイト・ホークスの帰還。
 木槿。
 紫色した花に水やりしながら、俺のシュガー・ベイビーは「無体なことを。心配しましたわ。結局、一睡もせずに、あなたのお帰りを」と。
 「愛と腰の痛み」まるで、映画の題名のようだ。

 なんとかベッドにたどり着いた俺は、天井をみやりながら、「マイクル・コナリーは、腰痛持ちの探偵を主人公にした小説を書くだろうか」と自問したが、解答を得る前に、深い眠りに落ちていた。

 箴言
 レギーの黙想
 「あなたは弱くされた、謙虚を学ぶために」。

 また一つ俺は、この深遠な人生の中で、自身の愚かさを知るとともに、知恵を得た。
 その知恵が、生きた行動に結ぶつくならば、の話だが。



編集部注=フィクションであり、登場人物ならびに、云々かんぬんは、実際には存在しません。
と、一応ことわっておこう。
posted by Jhon Done at 00:00| Comment(0) | それだけのことさ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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